2014年10月25日土曜日

同性愛者に優しい国をめざす台湾

今日は台湾でアジア最大級のレインボーパレード(Taiwan LGBT(:レズ;ゲイ;バイ;トランス) Pride)が行われました。
2004年から毎年開催されるイベント()です。
それに合わせて、台湾の同性愛者事情と、ジェンダー平等教育に軽くフォーカスしてみようと思います――



台湾ではよく男性同士、女性同士で手をつないで街を歩く光景を観ます。
彼らは俗に言うゲイやレズビアンといった同性愛者たちです。


よく言われることなのですが、
「台湾ってゲイが多いって本当?」
答えは、多いです。
海外の同性愛者たちも台湾に移住するからです(日本のゲイの友だちもそれが理由で台湾に移住しています )。
さらに、同性愛者たちが親や友だちに言いやすい環境があるからです。

日本にも数多くのセクシャルマイノリティー(性的少数派)がいます。しかし、彼らの多くは、親にも友だちにも知られないように生活しています。すると、自然と日本では同性愛者が非日常になるのです。とくに、メディアによって、セクシャルマイノリティーは特異なモノ、オモシロいモノ、として商業化されているのが尚良くありません。


台湾でも、元々はセクシャルマイノリティーに寛容な国ではありませんでした。
しかし、様々なデモ活動は1987年以降日常的に起こり、そのような中でセクシャルマイノリティーも議題として上がるようになりました。
2004年以降、Taiwan LGBT Prideが徐々にメジャーになるにつれて、台湾にいる同性愛者たちはオープンに過ごせるようになりました。

男らしく女らしくという規範(ジェンダーバイアス)に自己を抑えつけるのではなく、
自分らしさを大切にして生きることができるようになりました。


――知り合いの台湾の高校教師♂は、教え子たちとの懇親会に自身のパートナー♂を連れて行っていました――

日本では奇異な光景が、台湾では自然な光景になってきています。
いまの台湾では、同性愛者が身近にいるかもしれないというのは日常のこととして処理されています。
ただ、法的には同性愛者たちの婚姻が認められていなかったりと、まだまだマイノリティーであるというだけで婚姻等の権利を剥奪されています。


学校での、ジェンダー平等教育も日本より進んでいます。
2004年に《性別平等教育法(ジェンダー平等教育法)》が発布されて以降、”ジェンダー”を議題のメインにすることが多くなりました。
各大学には「フェミニズム研究会」「ジェンダー平等研究会」「同性愛者文化研究会」は必ずと言っていいほど存在し、
それに関連した講義も行われます。
中高でも、「男の子は女の子が好きで、女の子は男の子が好き」ではなく「人は人が好き」というような考えを教え込みます。

日本でも、もちろんジェンダー平等教育の前身:ジェンダーフリー教育が1990年代に行われましたが、見事に失敗し、むしろ教育界では「ジェンダー」という言葉が禁句になってしまっています。

日本はジェンダーに関することは台湾からしっかり学ばなければなりません。



日本にいる全ての人が、好きな人に素直に「好き」と言える日が、一日でも早く訪れることを切に願います――




※用語説明:
【ジェンダー(Gender)】:社会的文化的性差。男らしさや女らしさなどの規範。生物学的な性差(セックス; Sex)と異なる。
【LGBT】女性同性愛者(レズビアンLesbian)、男性同性愛者(ゲイGay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、そして性転換者・異性装同性愛者など(トランスジェンダーTransgender)の人々を意味する頭字語である。
【セクシャルマイノリティー】性的少数者(せいてきしょうすうしゃ)とは、何らかの意味で「」のあり方が非典型的な人のこと。英語のSexual Minorityの日本語訳である。性的少数派性的マイノリティセクシュアル・マイノリティジェンダー・マイノリティとも言う。一般的にLGBTを指す
【レインボーフラッグ】LGBTの尊厳と LGBTの社会運動を象徴する旗。1970年代からアメリカのカリフォルニア州発祥で使用されている。フラッグに使われた色は LGBTコミュニティの多様性を表し、LGBT の権利パレードの一種ゲイ・パレード(レインボーパレード)でしばしば見られる。
【フェミニズム】: feminism、女性主義)は、性差別を廃止し,抑圧されていた女性権利を拡張しようとする思想運動性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。男女同権運動との関わりが深い。フェミニズムは、近年、リベラル・フェミニズムと、ラディカル・フェミニズムとが対立している。フェミニズムの思想は多様であり、一本の思想と考えることはできない。フェミニズムを主張する人のことをフェミニストと呼ぶ。
【ジェンダーフリー教育】ジェンダーフリー(和製英語、ラテン文字表記:gender-free)とは、社会的性別(ジェンダー)に対する一般通念にとらわれず、自分の生き方を自己決定出来るようにしようという、「固定的な性役割の通念からの自由を目指す」思想、および、この思想に基づいた運動を指す。『デイリー新語辞典』(三省堂)では、「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること。」と定義されている。主にフェミニスト達により主張されている。※しかしながら、昨今この言葉をめぐって誤解や混乱が起こったことを踏まえて、男女共同参画局より地方公共団体に対して「この用語を使用しないことが適切」との事務連絡が出ている

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「あいこの台湾留学日記。」現地からの中継【#51】にて「2014 Taiwan LGBT Pride」を紹介しています(14'10.28公開):https://www.youtube.com/watch?v=xk-6jZzpFg4



2014年10月18日土曜日

あなたは何人ですか?


―― あなたは何人ですか? ――


と訊かれて、あなたは何て答えますか?


わたしが一般的に用いている「台湾人」は、必ずしも「台湾人」と答えるとは限らないことをご存知でしょうか?




台湾人のアイデンティティは大きく分けて3種類あります。
台湾人 // (中華)民国人 / 中国人 or 華人

違いは、台湾人と答える人のほとんどは緑寄り (:台湾独立派),民国人と答える人のほとんどは完全な青(:中華民国のままでおk派),中国人と答える人のほとんどは青寄り(:中華人民共和国のある中国大陸は自分たちの土地だと思ってる派)だと大まかに考えてください。
ただし、上記のカテゴライズでは中国人のアイデンティティーを持つ人も、台湾人と答えることもありますし(そういう場合の「台湾人」は「中国台湾省の人」を表す。つまり、「静岡県民」みたいな言い方)、とりわけ「台湾人」には複数の意味合いが含まれているので見極めが重要です。
国民党の馬英九(マー・インチウ)現総統も、大統領選が近づくと、「我是台灣人(私は台湾人です)」とメディアアピールします。その「台湾人」が、言葉通りに「台湾人」なのか、「中国台湾省の人」を表すのか、それは......
「中国人」と答える人も、「中華民国人」を意味する場合もあります。



わたしはよく、好奇心に駆られて直接訊いてしまうことがあります。失礼を承知です。もちろん訊いても大丈夫な間柄になってから訊いてます:
不好意思好奇問問看你的認同,你是台灣人?民國人?或者是中國人?(:好奇心であなたのアイデンティティーについて訊いてみたいのですが、あなたは台湾人ですか?民国人ですか?それとも、中国人ですか?)」


わたしは台湾大学(旧・台北帝国大学=緑が多い)の学生なので、同級生はほとんど「台湾人」と答えます。「中国台湾」という表記を忌み嫌う子も居ます。
中には、「実はよくわかってない」「意識したことがなかった」と答える子も居ました。

その一方で、40代の男性はよく「我們中國人是......(:われわれ中国人は......)」と言って、中華文化を説明してくれます。日本に留学経験のある、日本大好きな方です。
また、同じ40代の女性も「我們中國人......」と、優しく色々教えてくれます。ある時「你們日本那麼小......(君ら日本はあんなに小さくて......)」と言われた時には、「九州くらいの台湾に言われたくないわ!」とムキになっちゃいそうになりましたが、彼女にとっては自分の国はあくまで“中国大陸”にあるのだということです。
ちなみに以上2人の“中国人”は、本省人(台湾生まれ)です。



たまに台湾人にこんなことを言われます:
「君たち日本人は確固たる日本人というアイデンティティーがあって羨ましいよ」


2014年10月11日土曜日

台湾の道徳教育ってどうなってんの?



何が良いことで悪いことなのか?
人を尊重することは良いことなのか悪いことなのか?
人のものを盗むのは良いことなのか悪いことなのか?


そんな【人の価値観】は、
学校教育では主に公民教育道徳教育で学びます。
もちろん、「公民」も「道徳」も各社会・文化によって意味合いが異なるので、一概にどれが正しいものかという判断はできかねないものですし、判断すべきものではないものです。

日本では、歴史の変遷とともにそれらの扱いは変化してきました。


戦後廃止された道徳教育(戦前では修身教育)が1958年に復活してから、今では必修科目となっています。
2008年からの新学習指導要領(:教育目標の最低基準を示したもの、法的拘束力あり)では、道徳教育は教育の基本軸とし(総則でも記述)、道徳教育だけに一章を割いており、その重要さを見て取ることができます。
その背景としては、子どものイジメ問題や自殺といったものがあり、子どもたちには「生きる力」「豊かな心」の育成が必要ということで、1998年から引き続いて重要視しています。

その子どもたちに育てるべき道徳心とは、
「従来から規定されている個人の価値の尊重、正義、責任などに加え、新たに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度、生命や自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度、伝統と文化を尊重し、それらをはぐぐんできた我が国の郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度」(教育基本法第2条)
に表れています。そして、日本の公民とは以上の道徳心をもつべきものだとしているのです。

そして、道徳教育では「評価をしない/すべきではない」とするのが日本のスタンスです。



では、台湾はどうなのか?

台湾にも道徳教育はありますが、
それは公民教育に含まれます。
とは言っても、公民教育も内容のほとんどは経済(平たく言えばお金の稼ぎ方)についてです。

そして、道徳教育?として独立してある必修科目は「三民主義」という科目です。
これは孫文が中華民国国民党をつくったときに掲げたスローガンです。
三民主義:民族主義/民権主義/民生主義

また、道徳教育とは道徳科目だけでなく、日々の学生生活の中でも培われるものですが、児童・生徒・学生の日々の生活/風紀を監督するのは、「教官」です。教官とは、軍人さんのことです。
そして、軍事の法律や兵法を学ぶカリキュラム「國防教育」を学ばなくてはなりません。

これら台湾の以上の教育課程はいずれも評価を伴います。つまりは点数が付けられるということですね。

個々人の価値観に点数を付けること――
良い点数をとるためには、個性を潰して、国の必要とする答えに沿う必要があります。

したがって、台湾には日本にあるような道徳教育はありません。


ただし、高雄市の東方工商専科学校のように、「教育勅語」を現在も使用して道徳教育を積極的に行っている学校もあります。とくに高雄市の学校はこのような傾向があるようです。



ちなみに、中国(中華人民共和国)ではどうなのか?

中国には道徳教育は歴史教育の中に含まれます。
道徳教育は独立して存在して居ません。
歴史教育の孔子など儒教を学ぶときに、しっかり孔子の教えを勉強する、という形をとっています。
(北京師範大学附属中学校を視察した時に、子どもたちが真面目に孔子の教えに耳を傾けていたのが印象的です。)




最後に、もう一度言いますが、
「公民」も「道徳」も各社会・文化によって意味合いが異なるので、
一概にどれが正しいものかという判断はできかねないものですし、判断すべきものではないものです。



2014年10月4日土曜日

[専門]重視の台湾 VS [総合]重視の日本

勉強,仕事などにおいて、
専門性(speciality) と 総合性(totality)
のどちらが重要でしょうか?

私たちの住む日本では後者を重要視しています。
いや待てよ?日本だって、専門職も総合職も両方あるじゃないか?そう思うかもしれませんが、ちょっと台湾事情を観てみてから、もう一度考えて欲しいのです。



まずは学校教育――

高校に進学後、文系・理系に分かれます。
 台湾では、文系に進むと化学等の理系の勉強をしません。また、同様に、理系に進めば社会科等の文系の勉強をしません。
 日本の場合は、文系・理系どちらも全ての教科は学習する事が必修になっていますし、国公立大学に進学する場合は基本的に5教科7科目平均的に理解することが必須となっています。

 大学においても、台湾は学問の領域を超えた研究が少ないです。
例えば、社会学の場合、台湾では社会学部が一つ独立し、その中で教育社会学や家族社会学を学ぶのが一般的。日本では、社会学部として独立しているものもあるけれど、教育学部の中にも教育社会学があったり、政治学部の中に政治社会学があったりと、社会学の方法を用いて色んな学問と連携しています。
 また、日本の国公立大学では教養科目として文系の学生は理系の授業をとることが必須となっていますが、台湾ではもちろん文系は理系の授業をわざわざとる必要はありません。


そして公務員――

 台湾では、公務員試験は年金課など課ごとに受験します。異動はありません。教員も同じです。
 日本では、課を約3年ごとに異動するのが一般的です。教員も同じで異動しなければなりません。


 以上の「公」の性質を持つ学校教育・公務員というものは、
日本ではその「平等性」を維持するために、偏りが出ないようにするのが目的として、
教育も、職員の異動もその【総合性】というものを重要視してきました。
台湾では「平等性」云々よりも【専門性】が特化している方が良い、とする観念が一般的です。


仕事においても、以上の特徴が顕れています――

 日本では、仕事そのものに対する技術・能力以外にも、コミュニケーション能力であったり、書類等雑務をスマートにできる技術も要求されます。技術屋さんも、技術があればそれで良いというものではありません。
 台湾では、仕事ができればそれで良いのだそうです。それ以外の仕事の過程であったり、仕事場の雰囲気云々は重要ではありません。例えば、その結果として顕著に見受けられるのは、台湾の店員さんの態度です。物が売れて稼げればそれでいいのです。お客さんもまた良い物が買えればそれでいいのです。

*    *    *

 私個人の意見としては、この台湾の【専門性】だけを重視する方法には反対です。
 社会というものは色んな領域が複雑に絡み合って出来ています。例えば、商売をするにも政治や経済など色んな領域に影響を受けるために、各方面を理解する必要性があります。その複雑に絡み合った社会全体を理解するためには、また色んな領域に対する知識も必要になってきます。
 しかし、大方台湾では以上のような”社会構造”をもっています。領域を超えて理解する必要性がないといいます。「商売人は政治なんて知らなくたって良い」と豪語する人も多いことに愕然とした事もありました。
 もしかしたら、この台湾の社会構造というものは誰かが意図的に構成しているのか?と疑ってしまうのは私個人の悪い癖ですね。個々が個々の好きな領域だけに目を向け、社会全体を観なければ、この台湾という社会がいかにおかしいものか気付くことすらないのですから。


 以上に関連して、「公民教育/道徳教育」についてまた次回扱いたいと思います。